234  今年1年ありがとうございました  2009年03月31日(火)
 今日で3月も終わりです。1月は急ぐ、2月は逃げる、3月は去るというようにこの年度末3ヶ月はあっという間に終わります。学校も3年生の大学入試、本校の入試、学年成績算出、卒業式、人事異動など毎日あわただしく、あっという間に3月も終わりになりました。今年の桜の開花は早かったのですが、この一週間寒い日が続いて、ちょうど花見の会(4月4日 10時)や入学式(4月8日 14時)にうまく合いそうです。
 明日からこの校長だよりも2年目に入ります。読んでいただいている方から、毎日書くのは大変でしょうといわれるのですが、私自身はあまり苦になりませんでした。確かに夏休み中などは何も書くことがない日もありましたし、忙しくて3~4日間が開いたこともありました。更新が夜中になった日もありましたが、何とか書き継ぐことができました。
 明日は本校へ転勤して来られる先生方の着任式、あさっては新入生の健康診断、金曜日は本校の今年の目標などを話し合う職員研修があります。本校は「入ってよかった学校」を目指したいと思っています。ホームページの「学校だより」→「更新情報」→「総合学科アンケート」の集計結果のところをクリックしてみてください。今年の卒業生を対象に行ったアンケートで、「総合学科で学んでよかった」という項目が「よく当てはまる」「やや当てはまる」を合わせると95%あります。この数字を落とさないようにしたいと思います。もちろん「科目決定についてのガイダンスは十分であった」は70%ほどしか満足度がありませんから、これまでより一層丁寧なガイダンスを行っていきたいと思います。全員が、芦間に入学して、芦間を卒業してよかったと思える学校に近づけていきたいと思います。
 今年一年ありがとうございました。来年度も芦間高校をよろしくお願いします。


233  春のことばを考えています  2009年03月30日(月)
 茶道部から依頼されて、春の色紙と茶杓の銘を書いてほしいということで、「うーん」とうなっています。色紙に書く春らしいことばは何とか思いついて、次のことばにしようと思います。中国盛唐の詩人である杜甫に次のような詩があります。
遅日江山麗(遅日江山麗しく) 
春風花草香(春風花草香し) 
泥融燕子飛(泥は融けて燕子飛び)   
沙暖睡鴛鴦(沙は暖かにして鴛鴦睡る) 

春の日に山河は麗しく
春風に花や草の香りが運ばれてくる
泥がとけてツバメが巣作りに泥を運び
おしどりは温かい砂の上で眠っている

春らしい風景の詩ですが、その中の「春風花草香」の部分を色紙に使おうと思っています。
他にも、春宵一刻値千金とか、好雨知時節、當春乃発生(やさしい雨は時を知っていて、春になると降りだして万物をはぐくむ)などいくつか考えたのですが、春らしくて暖かそうなことばにしました。秋の色紙も頼まれているのですが、このことばは今考え中です。
 ことばは見つかったのですが、問題は文字です。私はボールペンなら何とかそれらしい字がかけますが、墨で書くとなると全く自信がありません。最近はほとんどワープロで字を書くので、ボールペンの字も怪しくなってきました。中学校の習字の時間に毛筆を使って以来、祝儀袋とか不祝儀袋以外に毛筆では書いたことがないので、なかなかむずかしいのです。春、風、花、草、香の5文字でどれも易しい漢字ですから何とかなるかなと思っていたのですが、なかなかかたちになりません。特に「花」という字は毛筆で書いてみると字のバランスが悪くて、新聞紙をたくさん切って半紙にして、俄か練習をしていますが、小学生のほうがもっといい字を書くというような段階です。もう少し練習してみます。
 茶杓の銘もかなりことばを考えました。源氏物語の各帖の表題の春らしいことば、例えば「朧月夜」「蓬生」「花散里」「若菜」などはいいなと思いますが、墨で書くことを考えると「朧」とか「蓬」がうまく書けなさそうですし、花散里は「散」ということばがちょっと寂しそう、「若菜」は春というより新年のことばなのでパスしました。二十四節季で春には次の「立春」「雨水(雪が雨に変わる)」「啓蟄」「春分」「清明(暖かい南東風が吹いて春らしい)」「穀雨(穀物を育てる雨が降る)」の6つがあります。「啓蟄」は暖かくなって虫が土から這い出してくる春らしいことばですが「蟄」の字がむずかしいので「清明」がいいかなと思っています。他にも奈良は昔から桜の名所ですので「吉野」とか「寧楽(なら)」とか「平城山(ならやま)」とかも考えています。こちらもことばより、墨の字が書けるかということのほうが優先で、ちょっと情けない感じです。
 4月4日(土)の花見の会(10時から14時までです。たくさんおこしください。当日、本校の桜は満開を少し過ぎた頃だろうと思います)までには何とか仕上げたいと思います。当日下手な字の色紙が掛かっていてもご容赦を!
写真は昨年の花見の会の時の茶道部の野点です。


232  芝桜が満開です  2009年03月27日(金)
 春は出会いと別れの季節でもあります。本校でも3年生が卒業して、もうすぐ新入生が入ってきます。新しい人たちを迎え、生徒も教員もまた新しい気分でスタートです。先生方にも異動があります。何人かの先生が退職や転勤で本校から別の学校へ変わられます。その先生のあとに他校から新しい先生が来られます。そのようにして学校は少しずつ変わっていきます。新しい先生方はどんな先生なのか、期待したいと思います。そんな、出会いと別れの季節の象徴は桜です。桜が咲くころになると日本中で出会いと別れが繰り返されます。だから桜はどの人の心にも残る花なのかもしれません。花と出会い、花と別れが心の中でリンクしているのでしょうか。
 ところで学校の周りを少し歩いてみると、この季節の花は桜だけではないことがわかります。お昼に少し出て、学校近くの旧河道の公園を歩いてみました。桜がちらほら咲き始めていますが、桜だけでなく他の花々も満開です。写真はその公園の出口のところに咲いている芝桜です。携帯のカメラの調子が悪いのであまりきれいに色が出ていませんが、白とピンクの花が山のようにこんもりと咲きそろっています。白とピンクのじゅうたんのようになっています。
芝桜は咲きそろうと花のじゅうたんのようになって大変きれいな花です。富士山麓の本栖湖や昨年修学旅行で訪れた北海道網走の東藻琴、埼玉県の秩父などが有名ですが、関西での名所は兵庫県三田市の北の端、篠山市との境界付近にある永沢寺です。3月はミズバショウ、4月下旬から芝桜(このあたりより標高が高いので約1ヶ月遅れて咲きます)、6月になるとハナショウブが満開になる花の名所です。
私はまだ永沢寺が今のように花の名所になる前、昭和43年に始めて訪れたことがあります。地域調査で三田市永沢寺、三田市母子(もうし)や篠山市後川(しつかわ−当時は福住町)などの集落を歩いて農家で聞き取り調査をさせていただいたことがあります。もう今はやっていないようですが、当時は永沢寺(お寺は「ようたくじ」とよみます)にユースホステルがあり、そこで泊めていただいた記憶があります。その地域調査が私が地理の教師になったきっかけといってもいい記念すべき場所なのです。それから数回訪れましたが、だんだん花の名所として有名になるにつれて観光客が増えて、花しょうぶの季節にはたくさんの人で賑わっているようです。
春は花の季節です。咲いている花を見て「きれいだな」と思うだけでなく、何という花なのだろうとおもって、調べてみてはどうしょう。そこからまた新しい興味が生まれてくるかもしれません。


231  大阪のウオーターフロントがもう少し元気になってほしい  2009年03月26日(木)
 大阪府庁のWTCへの移転の案が府議会で審議されていましたが、大阪のウオーターフロントは東京や横浜に比べるとどうももう一つパッとしません。ウオーターフロント開発ではイギリスのロンドンのドックランズが有名で、テムズ川に沿う古い河港が老朽化してゴーストタウン状態になっていたのを再開発して、ショッピングセンターやホテルなどを建て大改造しました。今ではインターネットで検索してもロンドンの観光スポットとして地図も載っているような地域になっています。もちろん交通網もウエストミンスターから地下鉄が伸び非常にアクセスも便利になっているようです。東京のウオーターフロントであるお台場も非常に賑わっています。
大阪のウオーターフロントと東京のウオーターフロントの違いは何なのかということを考えてみると、まず集客施設の知名度です。東京にはフジテレビとレインボーブリッジという集客可能な施設があり、ショッピングセンターと合わせてかなりの観光客が集まる場所になっています。また首都大学東京や東京海洋大、芝浦工大などの大学があり学生が多いですし、近くの月島は下町のイメージでもんじゃ焼きの聖地のようになっています。一方大阪にはUSJと海遊館がありますがUSJのある此花区や海遊館のある港区とATCやWTCのある南港とのアクセスが決して便利であるとはいえません。その都心とのアクセスの問題も差があります。東京のユリカモメと大阪のニュートラムにはあまり大きな差はありませんが、ユリカモメが新橋や汐留という中心部に近い地域と直接結ばれているのに対して、ニュートラムは住之江公園、大阪港という大阪の周辺部としか結ばれていません。大阪には道路とニュートラム以外のアクセスはありませんが、東京にはJRと相互乗り入れで新宿と直結する東京臨海高速線があり都心とのアクセスにかなり差があります。この鉄道を利用すると最大の集客施設であるディズニーランドにも乗り換え1回で行くことができます。
ATCやWTCが人の少ないビルになっているのは「いく用事がない」「行きにくい」ということなのだと思います。「一度いってみよう」「行きやすくなった」という整備をしなければ多分、今の寂れたままで終わってしまうのではないかと思います。府庁はWTCに行かないことになりましたが、集客施設とアクセスという二つの課題をクリアすることが、大阪のウオーターフロントの将来のためにぜひ必要なことだろうと思います。(大阪市交通局のHPにニュートラムとWTCが写っているのがあったので借用しました)


230  一年の計は4月にあります  2009年03月24日(火)
 今日は後期入試の合格発表で、合格者登校から帰る生徒とたくさん出会いました。これで入試は府立の二次募集が残るだけとなりました。中3生はこれまでがんばってきて、やっとこれでほとんどの人がほっとできる状態でしょう。
 本校は前期募集だったので、今は生徒が部活動に来ているだけで3月中は静かです。4月になると、急に忙しくなります。人事異動や、新しい年度の準備などたくさん仕事が続きます。ただ、3月も春休みとはいえ今年度の残務の処理や人事異動の問題などそれほど暇でもありません。ほぼ毎日朝から夜まで仕事が続きます。先生は夏休みや冬休みや春休みがあっていいですねと言われることも多いのですが、生徒は休みでも教員は仕事で毎日出勤ですから「いいですね」といわれればちょっと「カチン」ときます。
 ところで、先日の職員会議で来年度の行事予定を確認しました。4月は1日が新しく異動してこられる先生を迎えての職員会議、2日は新入生の健康診断、3日は職員研修、4日は昨日もこの欄に書いた花見の会、7日にも職員会議があり、8日は始業式と入学式というように、ほぼ毎日会議や行事が続きます。新入生に対しては、9日が対面式と新入生歓迎会、17日~18日が宿泊研修(貝塚少年自然の家)です。新入生の人は新しい環境で、たくさん行事があって、授業も始まって大変だと思いますが、4月はまだパワーのある時期ですからしっかり乗り切ってください。特に宿泊研修ではクラスの友だちがたくさんできると思います。
 4月は新しいことが始まる季節です。新しい気分で、期待に胸一杯になって新しい生活を始めてください。一年の計は元旦にありといいますが、学校は4月が始まりです。一年の計は4月にあります


229  もうすぐ咲きます  2009年03月23日(月)
 先週暖かい日が続いたので、桜の開花が早くなっています。学校の桜はまだ咲くのにもう少し時間がかかりそうですが、3月中には開花すると思います。ホームページで開花状況を報告します。4月の最初の土曜日は校庭で「さくらまつり」を開きます。吹奏楽部、茶道部、PTAの方や後援会の方も参加して、満開の桜を見ながら玄関前でいろいろな催しをします。ご近所の方もお誘いあわせてお越しください。それまでに桜が散っていなければいいのですが。
 日本は花の国で、春はまだ寒いうちにウメ、その後コブシ、モクレンなど真っ白の花が咲いて、ユキヤナギ、モモなどが今満開です。さくらが終わると、レンギョウ、エニシダ、ヤマブキなどの美しい黄色の花が満開になります。ハナミズキも桜より少し後です。花便りもなかなか風情があって、「つぼみ」→「つぼみふくらむ」→「ちらほら」→「三分咲き」→「五分咲き」→「七分咲き」→「満開」→「散りそめ」→「落花盛ん」→「散りはて」と続きます。「つぼみふくらむ」というのは何かわくわくする期待感と、ぷくぷくにふくらんだピンクの蕾を思い出してなかなかかわいい感じですし、「落花盛ん」というのも桜の花の嵐という感じで、春らしくて美しい感じです。
 広辞苑で調べてみると、サクラガイ、サクラエビ、サクラモチ、サクラダイ、サクラマスなど薄いピンクの色をした食べ物にはみんな「さくら」がつきます。私たちの心の中に「さくら」という薄いピンクの花のイメージができあがっているのです。また、さくらというのは春、新しいことが始まるイメージでもあります。入学式とさくらというのは切っても切れない関係です。入学式の式辞で「さくら」ということばの出てこない式辞はないのではないでしょうか。ちょっと違ったイメージでは、ぱっと咲いてぱっと散る「潔さ」のようなイメージもあって、「花は桜木、人は武士」などと武士の潔さを称えたことばもあります。歌でも「さくら」とつく歌はどれもヒットするようで、この季節になると「さくら」という歌がCDショップにたくさん並びます。とにかく、私たちはさくらが好きなようです。もうすぐ桜前線が北上してきます。なんとかさくらまつりまで校庭の桜が咲いていてほしいのですが・・・・・。


228  海外語学研修に出発しました  2009年03月18日(水)
 このところ何かと仕事があって、いつも夜の更新になります。
 先週14日(土)の朝、1年生14名が海外語学研修でオーストラリアのアデレードへ向けて関空を出発しました。シンガポール航空でシンガポールまで約7時間、7時間の乗り継ぎ時間でアデレード到着は翌日の9時過ぎですから日本からは約1日の空の旅です。直行便なら半日ぐらいで行けるのですが、航空運賃の面でかなり高くつくので、乗り継ぎ時間は長いが安いシンガポール航空を選んだそうです。原油が高かった時期に仕入れた燃料が残っているので、燃油サーチャージがまだかかります。オーストラリアとの時差は1時間半、オーストラリアの方が早いのですが、1時間半なら時差ぼけはあまりないだろうと思います。しかし、季節が向こうは夏の終わり、気温の変化に気をつけてほしいと思います。オーストラリアは今年は熱波で40度を超えた日もあって、山火事も発生していましたが、ネットで見る限り今は最高気温が24度と落ち着いているようです。日本よりはやや暖かい気候でしょうか。
 本校の研修を受け入れてくれる学校は、アデレードの南の郊外にあるハミルトンセカンダリーカレッジです。12歳から18歳の約1000人の生徒が学ぶ学校です。日本の中学校と高校を併せたような学校です。土日を除いて午前中は英語研修、午後はアクティビティーという日程になっています。生徒も付き添い教員もみんなホームステイです。はじめは言葉が通じなくて戸惑うかもしれませんが、言葉が通じなくても何とかなるのだということがわかってくると思います。毎日英語漬けの生活ですから、きっと英語を話せるようになって帰ってくるだろうと思います。
 アデレードはオーストラリアの東南部にある人口が100万人を超える大都市ですが、シドニーやメルボルンと違ってイギリスの流刑者によってつくられた町ではなく、自由移民によってつくられた町です。京都を小さくしたような碁盤目の街路をもつ美しい町です。日本への帰国は3月28日(土)の朝ですからほぼ2週間、健康に留意して、しっかり英語を学んでほしいと思います。
 しおりの巻頭言にも書きましたが、外国語を話せるようになるかどうかは、引っ込み思案にならず元気よくしゃべることができるかどうかにかかっています。日本語を忘れて、何でも現地の高校生と話してほしいと思います。夢に出てくる人が、みんな英語を話していたらその人の英語は本物だそうです。
 高校生の間に外国で研修が受けられるというのはきっと良い経験になると思います。お金はかなりかかりますが、出してもらった親に感謝してほしいと思います。

227  チューターの認証式を行いました  2009年03月16日(月)
 13日に、新3年生のチューター認証式をしました。本校のチューター制度は、これまでしっかり勉強してきて、3年生になってからもより一生懸命学習を継続したい人を個別指導する制度です。約30名の生徒に認証状を手渡しました。3年生になってもしっかり学習を続けてほしいと思います。今年卒業した3年生は国公立では大阪教育、香川、大阪府立、京都府立などに5名が合格しましたが、他にも昨年の卒業生が京都工繊大に合格したようで、合計ではもう少し増えそうです。関関同立、産近甲竜、武庫川、京女、京外、関外大など関西の難関私大にもかなりの数が合格してくれました。もちろん、大学だけでなく自分の夢を実現するために短大や専門学校にもかなりたくさん合格しました。進学した人も、就職した人も自分の夢をかなえるためにがんばってほしいと思います。先週チューターが決定した新3年生も、先生をうまく使って今年の卒業生に続いてほしいと思います。
もちろん、チューターに選ばれなかった人も来年の入試に向けて、どんどん先生を利用してほしいと思います。
 14日の土曜日は1,2年の希望者を対象に数検を実施しました。同じ日1年生14人は海外語学研修でオーストラリアのアデレードへ向けて関空を出発しました。1,2年生もそれぞれのところでいろいろなことにチャレンジしています。
 今年の新入生も今日と明日は高校での学習準備のために登校します。来年向けて全員が動き始めています。 


226  今日は終業式でした  2009年03月13日(金)
 今日は終業式でした。今日で1年、2年とも今年度の過程がすべて終了しました。今振り返るとあっという間の一年だったように思います。今日は、「区切り」が大切という話をしました。文章を書くときには必ず「、」や「。」、段落などで区切らねば、だらだら続く文章になって読めたものではありません。必ず「区切り」が必要です。それぞれの学年が終わった今日は一つの「章」の終了と考えると、大きな区切りの日です。明日からはまた新しい章を書き始めるつもりで、自分で毎日の生活を工夫しながら「、」「。」を上手に付けていってほしい、と話しました。また、4月からは新入生が入ってきて、全員が先輩になりますが、人を教える・指導するというのは大変難しい、学校生活の中で、部活や生徒会などの中で後輩を指導していくに当たって、相手(後輩)に自分のことばが伝わっているか、相手(後輩)の心を考えて話しているか、自分のことばと行動が違っていないかなど自分を振り返りながら後輩を指導するように心がけましょう、という話もしました。4月になってまた新しい気持ちで、全員に会えることを楽しみにしています。
 その後は表彰、テニス部、生徒保健発表会の優秀賞、芦間キャッチフレーズコンテストの優秀賞の表彰をしました。生徒は色々な場面で、それぞれの力を発揮してくれています。特に生徒保健発表会での芦間高校の発表はいつも好評で、来年の大阪府大会へもノミネートされています。
終業式後、生徒総会があって後期生徒会役員から今年度の取り組みの報告がありました。卒業生を送る会を始めいくつもの行事によく働いてくれたと思います。ありがとうございました。
 最後にもう1点。終業式後の生徒指導部からの注意の中で、薬物乱用のことについて触れてもらいました。先日大阪府下で高校生による大麻所持事件がありました。大麻所持は最近大学生にも検挙者が出て、かなりの広がりをみせています。そのほとんどが好奇心や「一回だけなら」といったような軽い気持ちから始まったもののようです。しかし大麻は吸うことはもちろん、所持していることや栽培することも犯罪です。覚せい剤ほど常習性はないとはいいますが、好奇心だけで人生を棒に振らないように注意してほしいと思います。ついでに言うと、タバコは合法的な嗜好品ですが、タバコに含まれるニコチンは40mg程度で致死量に達する猛毒のアルカロイドです。合法的と言っても高校生には非合法ですから、軽く手を出さないようにしてほしいものです。


225  大阪は水の都(昨日の続き)  2009年03月12日(木)
 昨日の大阪の川の続きです。「天満の市」という子守唄が大阪にあります。
ねんねころいち 天満の市で
大根そろえて  舟に積む
舟に積んだら  どこまでゆきゃる
木津や難波の  橋の下
橋の下には   かもめがいやる
かもめとりたや 網ほしや
網はゆらゆら  由良之助
最後のところが「かもめ」が「亀」になったり、「網」が「竹」になったりと伝わった場所によって少々異なりますが、大体は上のような歌詞です。曲も子守唄らしいゆっくりとしたよい曲です。
江戸時代のはじめごろから大阪の青物市場は天満にあったので、「大根を積む」のです(なお、ここでは「ダイコン」とは読まず、古い大阪弁で「ダイコ」と読みます)。天満青物市場跡の碑(写真)が天満橋のそばの大川の北岸の公園にあります。この青物市場は1931(昭和6)年に大阪中央卸売市場ができるまで存続しました。同じように鮮魚の市場はこれも江戸時代の前期から、西区の江之子島の北側「雑喉場(ざこば)」にありました。この市場も中央卸売市場が開設されるまで存続しました。地下鉄阿波座から西へ歩いた木津川橋の近くに雑喉場跡の碑(写真右上)が建っています。
 大根は舟に積んで運びます。大阪は堀が縦横に走っていたので舟運が最も大量に物資を運べる手段でした。天満からミナミへ大根を運ぶのにも舟が使われたのです。しかも木津や難波の橋の下には海鳥の「かもめ」がいます。今よりずっと海岸が近く、木津や難波には海の水が入り込んでいたのでしょう。
この舟運は大阪の町だけでなく、郊外と大阪を結ぶ重要な輸送手段でした。京都の伏見と大阪の八軒屋(今の天満橋の大川沿い)との間は淀川を上下する三十石舟によって荷物も人も輸送していました。「野崎参りは屋形船で参ろう」という歌にもあるように、寝屋川にも水運がありました。大和川を使った水運は八尾や柏原から剣先舟と呼ばれる喫水の浅い舟が河内の綿や米などを大阪へ運んでいました。大和川を使った水運は明治の初めまで残っていたことが確認されており、奈良県の法隆寺付近から大和川を下り一度河口まで出たあと、運河を使って大阪の大黒橋(道頓堀の戎橋より3本下流の橋)まで約13時間かかって人や荷物を運んでいた時刻表が残っています。
大阪は橋の町、水の都だったのですがだんだん町の様子が変わってきています。もっと水運や橋を使った観光などを企画することが大阪の活性化につながるように思います。


224  カーネルサンダースが救出されました  2009年03月11日(水)
 1985年に阪神タイガースが日本一になった時に胴上げされて道頓堀川へ投げ込まれたカーネルサンダースが約13年ぶりに見つかりました。探偵ナイトスクープでも探して見つからなかったのですが、ようやく救出されました。23年以上も道頓堀川の泥の中に埋まっていたにしては相変わらずにこやかに笑っていました。23年の間に阪神は日本一が一度もなく「カーネルサンダースの呪い」とまでいわれていましたが、これで呪いが解けるか否か?
 この23年の間に道頓堀も大きく変わったのを見てカーネルサンダースは驚いているかもしれません。川の横に遊歩道ができ、噴水ができ、戎橋も太左衛門橋も相合橋もきれいになり、川の水もかなりきれいになりました。夏の間は遊覧船が道頓堀を運航しています。ただきれいになった反面、道頓堀の芝居町としての機能はなくなり昭和の終わりから平成にかけて朝日座、中座、角座、浪花座がなくなり、今残っているのは松竹座だけという寂しい状態です。「かに」の大きな看板は相変わらず戎橋の角で動いていますが、くいだおれ太郎君は今はいません。昔に比べて道頓堀は何かやたらに騒がしくなった感じがして、このごろは歩いてもあまりほっとしないような感覚が残ってしまいます。この時の移り変わりを見てカーネルサンダースは何を感じているのでしょうか。
 ところで彼が救出されたのは、相合橋のすぐ近くでした。放り込まれたのが戎橋ですから約200m上流になります。ほとんど流れのない道頓堀ですが、23年の間に彼が約200m上流へ移動していたということは、川の底では海の水が逆流して下流から上流への緩やかな流れができているということなのでしょうか。確かに大阪の川は満潮時や高潮のときなど海の水が逆流して、潮の香りがすることがたまにあります。もっと水質が浄化されて、汽水(海水と淡水が混ざる水)に生息するボラやシジミなどがたくさん獲れるようになれば川を拠点にした大阪観光も大阪の活性化の起爆剤になるかもしれません。道頓堀で獲った魚を安心してその場で料理して食べることができるようになればいいでしょうね。大阪は八百八橋と呼ばれるように橋の町ですがその橋が一部を除いてあまり生かされていないようにも感じます。四ツ橋なども長堀と西横堀を埋め立てなければ今でも夕涼みや観光の名所として十分生き残っていただろうと思うと残念でなりません。中之島ガーデンブリッジや川崎橋のように新しい橋を架けるのもいいですが、今ある橋をもっと生かす方法が考えられないかなと思います。大阪橋めぐり散歩ツアー(堀川遊覧船ツアー)などを企画すればおもしろいと思うのですが。あまり知られていなくても本町橋や末吉橋、九之助橋などは由緒のある橋です。


223  先日の入試問題の古文は・・・・・  2009年03月10日(火)
 今年の前期入試の国語の古文の問題に次のような一節がありました。問題文の少し前から引用してみると
「去年の冬のはじめより雪のふらざる日も空曇りて快く晴れたるそらを見るは稀にて、雪に家居を降り埋められ手もとさへいとくらし。是に生まれ是に慣れて、年々のことなれども雪にこもりをるはおのづから朦然として心たのしからず。しかるに春の半にいたり雪囲を取除れば、日光明々としてはじめて人間世界へいでたるこゝちぞせらる。一年夏の頃、江戸より来りたる行脚の俳人を停おきしに、謂やう、此国の所々にいたり見るに富家の庭には手をつくしたるもあれど、垣はいづれも粗略にて仮初に作りたるやうなり、いかなるゆゑにやといふ。答えていふ、いぶかり給ふもことはりなり、かりそめに作りおくは雪のゆゑなり。いかんとなればいかほどつよく作るとも一丈のうへこす雪におし崩るゝゆゑ、かろくつくりおきて雪のはじめには此垣をとりのくるなりと語りし事ありき。されば三月の末にいたれば我さきにと此垣を作る事なり。さて又雪中は馬足もたゝず耕作もせざれば、馬は空く厩にあそばせておく事凡百日あまり也。」
鈴木牧之:「北越雪譜」二編巻之四 第十二条「三四月の雪」 岩波文庫黄版226-1
 江戸時代末期のたいへんわかりやすい文章ですので、現代語訳は自分でしてみてください(読みにくい漢字もありますがそれは漢和辞典で探してください)。文中にある「一丈」は長さの単位で約3mです。江戸時代の文章でも漢文調で書かれるとたいへん煩雑で読みにくいのですが、和語で書かれたものは比較的読みやすく、松尾芭蕉の「奥の細道」も非常に読みやすい古典です。むかし奥の細道と「象潟」の地形図を融合した地理の問題を出題したことがあります。古典が苦手でも何とか読むことができると思います。 
 著者の鈴木牧之(すずきぼくし)は1770年(明和7年)に今の新潟県南魚沼市で生まれた人で、越後の特産物である織物の縮(ちぢみ)の仲買と質屋をしていた商人です。この当時は今のように情報があふれている時期ではないので、上越の「豪雪」というものがどのようなものかはあまり知られていませんでした。そこで雪に降り込められる上越の様子を、雪の降らない地方の人にも知ってもらおうと出版したのがこの「北越雪譜」です。鈴木牧之は狩野派の絵も学んでいたので様々な絵も挿入してあります。江戸末期の雪国の生活がたいへんよくわかるおもしろい文章で、雪と人の関わり、雪国の人と動物の関わり、雪国の怪奇現象などを紹介しています。もちろん国道も鉄道もない時代ですから今の雪国の生活とは大違いですが、雪の季節に上越を訪ねてみたくなる本です。あまり分厚くない文庫本ですが、全部読むのはちょっとしんどいかもしれません。図書館などで探して少し読んでみてはどうでしょうか。


222  土曜日は第1回の合格者登校でした  2009年03月09日(月)
 先週の土曜日は第1回の合格者登校でした。新1年の学年主任、教務主任、生徒指導主任、保健主任、事務室の順に諸注意や話しが続いて少し疲れたかもしれませんが、新しく入学するのに必要な話しばかりですので手続き等を間違わないようにしてほしいと思います。その後、教科書購入、体操服購入、制服の採寸、写真撮影などが合って盛りだくさんな日でした。入試の日も面接の日も雨でしたが、土曜日は暖かい春の日で新入生を祝福しているようでした。正確にはまだ中学校に在籍していますから高校生になったわけではありませんが、高校生になる日も近づいています。
高校生になってあれもしたい、これもしたいと夢が広がっていると思います。楽しい高校生活を送るためにいっぱい色々なことをしようと考えておいてください。1年生はまだ右も左もわかりませんし、中学校から一人だけ入学した人も多く、友だちもいない人が多いと思います。友だちづくりから始めなければなりません。そのために4月には宿泊研修があります。卒業した先輩も来てくれて、クラスで新しい友だちをつくる大きな機会です。クラブ活動への入部も新しい友だちをつくる大事な機会です。3月17日のクラブ体験や4月のクラブ紹介を通じて入りたいクラブを考えておいてください。
土曜日の第1回の合格者登校、次の16日、17日の2回の登校で高校で必要な事はほとんどお話しできると思います。あとはそれぞれの人が、自分の力で友だちをつくり、高校に慣れ、そして高校生活を楽しんでいくことになります。特に1年生は時間がたっぷりありますから、たくさんのことにチャレンジしてください。期待しています。新しい教科書を広げて、高校生活の始まりを待っていてください。

221  今日は卒業式でした  2009年03月06日(金)
今日は卒業式でした。暖かい日でしたが朝から雨で、生徒にも保護者の方にも来賓の方にも少し気の毒でした。しかし、5期生は立派に卒業しました。いつでも母校を思い出して、芦間高校に顔を出してくれたらいいと思います。それぞれの思いがこもった送辞も答辞(答辞は場内の明かりを消して、スポットを当てて読んでくれました−写真−)も大変よかったと思います。
今日私が読んだ式辞の全文を掲載します。

  式 辞
 「光の春」と呼ばれる二月が過ぎて、本番の春になりました。ここに集まった芦間高校5期生230人は今日卒業の日を迎えます。おめでとうございます。
 ご列席いただいた、保護者の方々にとってもほっとされる瞬間だと思います。おめでとうございます。
 また、卒業する生徒のためにご出席いただいた、来賓の方々にはお忙しいところどうもありがとうございました。彼ら、彼女らの成長した姿をほめてやっていただきたいと思います。
 さて、
 今あなたたちは卒業という日を迎えました。高校を卒業するというのは、これからは親や先生たちの傘の下で生きていくのではなく、自分の責任で生きていくための準備期間が終わったということだと思います。小学校へ入学してから12年という長い準備期間でしたが、これからの人生を考えるとそんなに長い期間ではないと思います。
 今年の成人式で平成生まれの人が成人を迎えたように、時はとてつもなく速いスピードで過ぎていきます。私のように50才を何年もこえた人間にとってはこの時の流れの速さは驚異ですが、あなたたちにはまだまだ長い人生が残されています。人生を90年と考えると約33,000日になりますが、あなたたちが生きたのはまだ、7,000日にもなりません。まだ5分の1です。あなたたちには「明日を信じる」ことのできる日が十分に残されているのです。
 今ここで卒業していくあなたたちのために、私の願うことは三つあります。
 一つめは、あなたたちすべての人が「よい人生」を送ってほしいということです。よい人生とは何でしょう。人によって違うと思いますが、私の考えるよい人生とはこういうものです。これからあなたたちが生きていく中で、楽しいことやうれしいこともたくさんあると思いますし、悲しいことや、つらいこともたくさんあると思います。しかし、どんな人生を生きても、すべての人は平等に人生の中で「輝くとき」が必ずあるのです。それがいつ来るのかは人によって違うと思います。自分のしたい仕事が見つかったときかもしれませんし、終生の最高の伴侶を見つけたときかもしれません。もっと後になって60才を過ぎてからやってくるかもしれません。しかし「輝くとき」は必ず来ます。その輝いているときを見逃さないでほしいのです。人生を悲観的に考え、「私の人生にいいことは全然ない」と思って生きている人は、その輝く時を見逃しているのかもしれません。きっと来る輝く時に「ああ今私は輝いているのだ」と実感できることがあったのなら、それがよい人生なのだと思います。その輝く時を待って、自分を常に見つめ続けてください。焦ることもないし、急ぐこともありません。時の流れるスピードはとてつもなく速いですが、あなたたちにはまだまだ時が残されています。ゆっくりと落ち着いて、自分の人生を考えてください。
 高校を卒業するまで、人はみんなこの小中高の準備期間の意味を考えずにいます。しかし、これから何年もたって70年後か80年後かわかりませんが、自分の人生の終焉を迎えるとき、きっとこの準備期間の意味がわかるだろうと思います。この準備期間があるから輝く時を迎えられるのだと思います。明日を信じて、よい人生を送ってください。
 二つめは、ひと他人に感謝してほしいということです。あなたたちが今ここで卒業という時を迎えられたのはあなたたち一人の力ではありません。まわりの人たち、親や友人や先生やの支えがあってこそなのです。その支えてくれた人たちに感謝の気持ちを忘れないでほしいのです。これから先も、たくさんの人の支えによって生きていくことになります。その人たちにも感謝の気持ちを忘れないことが、あなたたちのこれからの人生がよりよいものになる方法だと思います。最初に話した、「自分が輝く時」を実感したとき、人は自分の輝きに酔ってどうしても傲慢になってしまいがちです。常に謙虚であること、周りで支えてくれている人に対して感謝することがあなたたちの人生を豊かで楽しいものにするでしょう。豊かで楽しい人生、これもよい人生です。
 三つ目はあなた方に生涯学んでほしいということです。学ぶということは、特権のための学問と人権のための学問の二つに区分できるといった人があります。特権のための学問とは自分の出世や昇進のために、あるいは難関といわれる大学に合格するための勉強です。入試のための勉強は特権としての学問です。だから、得点や評価によってその内容を測ることができ、優劣をつけることができます。しかし、人権としての学問は自分のための学問、自分の生き方、考え方など自分の人生における思想をかたちづくる勉強です。それには優劣はありません。机の前に座って勉強するだけではない、自分の心を満たす勉強です。これから社会へ出て行くあなた方の人生の中から、常に自分の心の中を満たしていく勉強を続けてほしいと思います。方法は決まっていません。人生から何を見つけ出し、何を学ぶかはあなたたちの心の力です。
 最後に、私はあなたたちがこの芦間高等学校に入学してくれてよかったと思っています。あなたたちのおかげで、すばらしい体育祭や文化祭ができました。あなたたちのおかげでこの学校は前へ進んできました。見た目は大きく変わらなくてもゆっくりと、落ち着いて、着実に前へ進む学校が私の望みです。あなたたちの力が芦間高校をそういう学校に近づけてくれています。あなたたちの力が芦間高校にとって大切だったということを忘れないで、誇りに思ってください。これから社会に出て、自分が芦間高校の卒業生であることを人に話すときがあるでしょう。そのときにここにいる誰もが、楽しい高校だったということを話してくれるならうれしいと思います。
 あなたたちの力はこれから後輩に伝えられます。その後輩がまた芦間を前へ進めてくれます。あなたたちは、芦間高校に大きな足跡を残して卒業していきます。卒業おめでとう。そしてありがとうございました。5期生全員に感謝してこの式辞を終わります。よい人生を送ってください。


220  卒業式予行・表彰式・同窓会入会式  2009年03月05日(木)
 今日は朝から卒業式の予行、校歌や卒業の歌の練習でした。3年生(5期生)の登校も明日の卒業式で最後になります。すべての練習が終わってから、表彰式に移りました(写真)。
 大阪府教育委員会表彰、全国総合学科校長協会表彰、JAICAエッセイコンテスト優秀賞、皆勤賞(10名)、芦間キャッチフレーズコンテスト優秀賞(2名)とピアサポーター認定証の授与でした。たくさんの生徒が、様々な場面で活躍してくれてそれぞれに「おめでとうございます」といいながら、賞状(記念品)を渡しました。
芦間のキャッチフレーズはたくさんの応募がありましたが、その中から優秀賞に3点が選ばれました(3点のうち2点が3年生)。まだこの欄では発表しませんが、これから芦間をアピールする色々な場面で使おうと思います。賞状と副賞の「芦間タオル」を渡しました。
3年生(5期生)もいよいよ卒業です。「あー卒業なんだ」と感激する卒業式はこれで最後という人も多いと思います。就職する人はもう卒業式がありませんし、大学の卒業式は学部別のことが多く、高校生という多感な時期を過ぎてしまっているのであまり感動しないものです。看護師養成の大学や専門学校に進む人だけは戴帽式がとても厳かで感動するらしいですが・・・・・。感激する卒業式は最後の人が多いと思うとなおさら、よい思い出に残る卒業式にしたいと思います。体育館の準備を見てきましたがきれいにできていて、音楽やマイクも万全でした。卒業式というのは高校生活の締めくくりであるだけでなく、これから新しく旅立つためのはなむけの式でもあります。その旅立ちが希望に満ちた旅立ちになるような式にしたいと思っています。今日の一番最後は同窓会「咲友会」の入会式でした。5期生も明日から同窓会の会員です。
 卒業式は明日10時の開式です。


219  3年予餞会  2009年03月04日(水)
 今日は3年生の登校日でした。今日は午後から総合学習の時間の総まとめをしてから食堂で予餞会です。餅つきをするそうで保護者の方も来ていただいて準備をしています。12臼もつくそうです。一臼で約1升(1.5kg)つくことができますから、全員が食べる分は十分あるでしょう。きな粉、あんこ、しょうゆなども用意してあって、つきたてを食べることができそうです。私は餅を食べるのは大好きなのですが、餅つきもそれ以上に好きなので長く見学しているとついてしまいそうです。ところが今は持病の腰痛の状態があまりよくなくて、ここで杵を振り上げたりすると、そのまま腰痛で立てなくなって、卒業式に校長欠席というような恥ずかしいことにもなりかねないので、ちょっと見学してそーっと抜けてくることにします。
3年生はもう卒業ムードです。授業が終わってほぼ1ヶ月、6日の金曜日が卒業式です。本校では卒業式の日は卒業証書以外のものは渡さない慣例になっていて、皆勤賞や教育委員会表彰などの表彰状は明日の卒業式の予行のあとに表彰状伝達式を行ってそこで渡すのだそうです。
ところで、私は1968年4月に高校に入学して、1971年3月に卒業しました。一浪して大学へ入学したのは1972年、卒業は1976年です。1970年の日米安保条約延長の時で学生紛争の盛んな時期でした。高校の卒業式はヘルメットをかぶって35分間演壇を占拠してアジった生徒があって、彼が演壇を降りてからわずか30分足らずで卒業式は終わりました。校長の式辞と代表生徒1名に卒業証書が渡されただけの式でした。校歌は歌ったような気はしますが、祝辞があったかどうかは覚えていません。卒業生一人ひとりの呼名はありませんでした。だから、卒業式で泣いた経験はありません。むしろとてもシンプルな卒業式でよかったと思った記憶があります。大学はもっと学生運動が盛んで、長い間ストをしていましたので、卒業式はありませんでした。いつも講義に使うちょっと大きめの教室で、事務室の人から「はい」と証書を渡されただけでした。そんなわけで、私自身は卒業式というものにほとんど思い入れがありません。
卒業生全員がよい式だったと思う、清々しい式であればよいと思っています。


218  今日は合格発表  2009年03月03日(火)
 今日は午後2時から合格発表でした。今年の受検生は入試も面接も合格発表も雨ふりで、特に今日はみぞれ交じりの冷たい雨が降る寒い日でした。私は前任校も前期入試だったので、これで3月初めの発表は4回目になりますがこんな寒い発表は初めてでした。受検生にはちょっとかわいそうな気がしますが、天候ばかりはどうにも仕方がありません。合格した人は寒い日でも別によかったのではないかと思います。
 不合格だった人は「天気も心も寒い」とか考えて、あまり悲観しないことです。不合格だったのは仕方がない。あとはどれだけ早く気持ちを切り替えるかで次が決まります。私学に合格していて、公立が不合格でも私学への進学が決まっている人はすぐに、私学への準備を始めるべきです。これから後期入試でもう一度公立を受検する人は、早速気持ちを切り替えて今日から受検勉強を始めるべきです。不合格だったのは自分一人ではない、同じようにたくさんの人が不合格だったのですから、早く立ち直った者勝ちになるだろうと思います。後期入試まであと約2週間です。
 合格発表というのは私自身はあまり好きではありません。どうしても喜ぶ人と悲しむ人が同じ場所に同時にできてしまいますから、何か落ち着かないものがあります。友達どうしで発表を見に来ても、一人が合格で一人が不合格だったら何と声をかけたらよいかわかりません。どんなに強い人でも、不合格の一瞬はきっと心が折れそうになるだろうと思います。今日も午後2時ちょうどに合格番号が掲示され、合格者への書類わたしがスムーズに動いているのを確認して、早いめに自席へ戻りました。喜んで携帯で番号の写真を撮っている人、じーっと発表のボードを見つめている人、泣いている人、色々な人がありましたが、あまり今日は人の観察はしていません。
 今週の土曜日が第1回の合格者登校です。合格した人は忘れずに登校してください。

217  明日発表です  2009年03月02日(月)
 いよいよ明日の午後2時から合格発表です。体育館の通路の上から掲示します。番号があるといいですね。合格した人は必ず「合格者のしおり」等の入った封筒を持って帰ってください。配布場所は当日掲示します。残念ながら番号がなかった人は、後期入試に全力を集中してください。入試というのはかなり運に左右される部分もあって、自分の得意な問題が出なかったとか、体調が悪かったとか色々なことに左右されるものです。合格した人は「ばんざい」でしょうが、合格できなかった人もあまり落ち込まないで、後期入試に向けて体調を整えていってください。一度前期で公立高校の入試を経験しているのは大きな強みといえます。
 私は大学受験のときに一度不合格になって、自分の番号がなかったときは放心状態でしたが、その状態は一日で終わりました。くよくよしても仕方がないですから、すぐに気持ちを切り替えるということが大事です。私が大学を不合格になったときは、他はどこも受けていませんでしたので、予備校以外に行くところはありませんでした。前期入試がダメだった人は、まだ後期入試があるのですから、気持ちの切り替えが早くできればできるほど有利だと思います。
 合格した人は3月7日(土)に第1回の合格者登校があります。保護者の方も一緒に体育館で行います。みんな
やったー合格!→受験勉強から開放される!!→思い切り遊ぶぞ!!!
となります。開放されたのですから遊ぶのはいいと思いますが、ずーっと遊び続けると4月の最初から授業についていけなくて困ると思います。遊び過ぎないようにメリハリをつけて生活してください。合格者登校では、そのことについてのお話もしたいと思います。
(写真は昨年の合格発表です)






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